鬱と私の終わり無き戦い

三十路女が鬱による転落人生&隠れ毒親と戦い足掻きながら 殴り書きするブログ

【忍耐力】ってなんだろう。病んでも死んでも、搾取に耐える力?

目下、また新たな仕事を探している。

 

短期離職が続き、もはや現状の待遇を維持したままでの転職は絶望的だ。

 

しかし、ここで耐えるという選択肢が明らかに自分の精神衛生上、大きな問題となるのは自明である。

 

現に、このお盆休みの4日間、ほとんど何も活動できずに部屋でぐったり寝込み、無意味な時間を過ごしてしまった。

 

サボっているのではなく、単純に辛い。

パワーがない。鬱一歩手前の状態なのだ。

 

耐えることは本当に必要なのだろうか。

 

これまで、最初の会社を除き、満足できる仕事に巡りあうことができなかった。

 

基本スペックだけで言えば、今でも世の中の上位20%前後にいるはずだ。

 

努力もできる、分別もある、様々な経験と、深くはないがニッチなスキルもある。人間性やコミュニケーション能力だって、辞退したものもあわせて、今まで様々な面接試験に60勝くらいしてきているので、平均以上のはずだ。

 

それでも【忍耐力】。

この一つが欠けるだけで、全てが台無しなのだろうか?

 

いや、そもそも数々の難関試験を突破してきている私に、【忍耐力】は本当に足りないのだろうか?

 

【忍耐力】が足りないのではなく、【選ぶべき仕事の方向性】が間違ってるような気がして仕方ない。

 

誰かに邪魔されず、ただひたすら自分と戦い、

 

目標を立て、毎日ストイックに実行を積み重ね、

 

自分の努力次第で成果への距離が決まる。

 

 

 

そういう、試験勉強みたいな仕事があれば、私はたちどころに頭角を現せるだろう。

 

しかしそれは、サラリーマンの仕事ではない。

 

総合職正社員の仕事ではない。

 

外国人配偶者を持つ共働き妻の仕事ではない。

 

 

本当だろうか?

 

私は、私を信じたい。

けれど、誰も私を信じてくれない。

 

大手企業に属し、守られるように見せかけて搾取され、精神を病み、また遠回りをする。

 

それでもなお、私が間違っているのだろうか?

 

忍耐力が足りないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒りの矛先、その矛盾。

一度、ストレスが溜まると、それが引き金になって次々にストレスがなだれ込み、身動きできないレベルに折り重なってくる。

 

その重さは、普通ならそこにある良心とか平常心なんてものを軽々とぶち抜いて、一番身近で、一番大切な人に振り掛かるのだ。

 

八つ当たりだ。

 

爆発だ。

 

 

そう、人間の弱さだ。

 

一番大切な人を、真っ先に被害者にしてしまう。

 

こんな状態で生きていて、一体何が幸せか?

 

 

 

 

夏。一年で仕事を二回変わった。

このブログ、去年の7月に開設し、さあ意気込んで書くぞー!と思っていたのだが...。

 

直後にバタバタと転職し、滅茶苦茶忙しくなったため、丸々一年放置してしまった。

 

そして気がつくと、夏。

 

その間、仕事は実に、2回変わった。

 

一年で2回。

 

紛れもなく、転職過多である。

 

 

しかも業種・職種ともにバラバラ。

 

 

公益法人×人事

 

素材メーカー×新規事業立ち上げ

 

 

軌道修正しているつもりが、入ってみるまでわからないという転職の博打的要素により、どんどん意味不明なキャリアになり、求める安定や平穏な日々とは真逆の深みにはまっていく。

 

唯一の救いは、給与が年収ベースで微増していることだが、新卒で働いていた会社の同期には、はるかに及ばない額だ。

 

現職は中途を外様扱いして、徹底的に面倒くさい仕事を押し付けてくる社風であり、試用期間中だが、早くも退職の可能性が濃厚になってきている。

 

頑張って、頑張って、何とか脱出しようとしても、この世の中では、ドロップアウトした人間が元の地位まで這い上がるのは、宝くじで1000万円当てるくらい難しい。

 

(3億円ではないところがミソ。手が届きそうだから、つい頑張ってみてしまったり、頑張るのを止められなかったりする。)

 

こうしてまた、ボロボロになり、絶望し、やむを得ず大きく方向転換し、迷走していくのだ。

 

一体いつになったら、本当の平穏を手に入れることができるのだろう。

 

死ぬとき、だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元鬱」のレッテルが、這い上がりを徹底的に阻止する。

鬱を患った人が社会復帰を試みる際に、最大の壁となるものは、

 

「具合が悪くて働けない」

 

ことではなく、

 

「そもそも働ける土俵がないから働けない」

 

という事実だ。

 

鬱による休職を会社が認めており、休養の末元の職場に復帰できる場合はまだしも、人間関係や制度の問題上、満身創痍の状態で退職せざるを得ず、職歴にブランク期間ができてしまったら最後。

 

どんな企業に面接を受けに行っても、ここぞとばかりにブランクを指摘され、

 

「この期間は何をしていましたか?」

 

と、聞かれるパターンは避けられない。

 

素直に「鬱で休んでました」

 

と、答えれば当然、

 

「今は大丈夫なんですか?仕事が忙しくなったりストレスを感じたら、また再発しませんか?」

 

と質問責めにあい、何と答えようと、よほど物好きな会社で無い限りは不採用になる。

 

ふわっと誤魔化して、

 

「少し疲れたので、ゆっくりしてました」

 

などと答えて仮に採用されても、真実をありのままに伝えなかった自身に対しての後ろめたさや、万一再発したときに、誤魔化していたのがバレてしまうのではないかという不安を抱えたまま働くこととなり、結果として、真面目で律儀な自身の心を傷つけてしまう。

 

 

つまり、一度鬱で履歴書に空白期間ができてしまった人は、その事実を「素直に伝える」or「適当に誤魔化す」のどちらを選んでも、基本的に地獄なのである。

 

この状況を打開できる有効な策を見つけることは、私自身の最も望むことであり、もずっと模索し続けているが、未だに発見には至っていない。

 

可能性があるとすれば「自営業になる」だと思うが、そもそもとてつもないパワーを必要とする起業は、病み上がりで貯金の無い人や手に職のない人に取って、イバラの道であることは自明だ。

 

(ちなみに私は士業として開業できる国家資格を鬱完解後に取得したが、開業には至っていない。というかそもそも登録もしていないし、今の仕事では一切使っていない...。)

 

自活でなくても良いのなら、結婚して主婦/主夫になり、配偶者に扶養してもらうという手段もあるが、老若男女共働き化の時代の流れには完全に逆行しており、ハイリスクであることは言うに及ばないだろう。

 

こうしてブランク有り既往症鬱の人材が、どんどん抜け出せない負のスパイラルに陥り、更なる絶望と経済・社会的困窮を味わい続けることになるのである。

 

一度の鬱ブランクが、その後の人生を全く異なるものに変えてしまう。

 

「過去に鬱になった人」というレッテルを背負って生きていくのは、どこもかしこも余裕の無い人だらけの現代の日本では非常に困難だ。

 

でも、そんなレッテルを張られた人は、今この瞬間も、まさに、増え続けているのである。

 

そして、多くの人は、完解に近づき、少し落ち着いて物事を考えられるようになったときにやっと、自身に立ちはだかるこの絶望の壁に気づくのである。

 

この事実を、一人でも多くの人に知ってほしいと思う。

 

できれば鬱なんて他人事だと思っている人に。

 

そして、想像してみてほしい。前にも後ろにも進めなくなった自分を。

 

 

始まりは突然に

7月某日。


転職活動中の私は、会社を休み、
都内にある某出版社の最終面接に挑んでいた。




穴だらけの履歴書。

脈絡のないキャリア。

ムダに沢山ある資格。



ツッコミどころ満載のエントリーシートを手にした8人の刺客に、私はスタンドアローンで対峙している。


「なぜ、最初の仕事を辞めたの?」


「せっかく合格したのに、社労士の仕事はしたくないの?」


「大学生のときに思い描いていたキャリアは実現できてるの?」



大変ごもっともなご質問である。



なぜなら、


貴殿方のお手元にあるのは、紛れもなく、
おかしなキャリアの人間のエントリーシートだ。

短期職歴と長期ブランクを繰り返すがゆえに、
日本企業が毛嫌いするダメ人間の履歴書だ。





しかし、それは、





とりもなおさず、

私の鬱との闘いの悲哀に満ちた歴史なのだ。





「課題作文、非常に良く書けてますね。」

「いや~~、なかなか鋭い意見だね。」




意外にも後半、面接官様からのお褒めの言葉が舞い始め、合格フラグがバンバン立つ。



87%イケる手応えを感じつつ、
60分間のボリューミーな最終面接が終了した。


お見送りのエレベーターでは、人事担当者から
満面の笑顔で、社内部活動のスカウトまがいの
お言葉もいただいてしまった。





これは.......!



ついに..............!




長年のドロップアウト人生を、脱却する時がきた.........!!!





.....と、


鼻息を荒くしたのもつかの間。




わずか7時間後には、
無情なる即日お祈りメールが届いた。





ですよね.....。



そうですよね........。


......。


そう上手くはいかない。
あのボロボロブランク満載の履歴書で。


しかし、その事実はまた、
私にとある不穏な決心をさせた。




「よし、ブログ書こう。」





吹っ切れたかのような薄らポジティブな心に、
清々しい新規タスクが現れたのだ。



ずっと書きたくて、

でも踏み切れなくて、

モヤモヤして、

そわそわして、

イライラして、

希望のようでいて、

締め付けでもある。






ブログは、私にとって、そんな存在だ。




個人でブログを書くのは、今回が初めてになる。


色々なことを書きたい。


迷いもある。

不安もある。


でも、気の向くまま、思うままに、


書きたい。


私の闘いの歴史。






最高難易度の人生リベンジに向けて、
今、まさに闘い続けている同士のために。


誤解と偏見の大海原で、希望を求め
もがき続けている人たちのために。


そして、


闘い続ける私のために。





どうぞ、これから気長にお付き合いください。