鬱と私の終わり無き戦い

三十路女が鬱による転落人生&隠れ毒親と戦い足掻きながら 殴り書きするブログ

いつも、被害者ぶる

相手のことを、さも悪人のように、

さも、相手一人が悪いかのように、

 

被害者ぶった態度であらゆる言葉を濁し、

対話しない。

 

こんな態度に、一体どれだけ傷つけられてきたか、想像すら、したことがないのだろう。

 

家族の最小単位である、夫と妻。

これが不仲で、子供同士にだけ、兄弟仲良くを強要することの異様さを、考えてみたことすら無いのだろう。

 

私は旅立つ。

 

私の正義を、けじめを、

私と彼女らに示すため。

死なないとわからないんだね。いや、死んでもわからないんだね。

仮病に見えるのでしょう。

 

怠けてるだけに見えるのでしょう。

 

死んでやっと、死んではじめて、あぁ、精神病だったんだってわかるのかな。

 

 

いや、わからなかったよね。

 

既に犠牲者がいるのに、

 

まだ気づかない。

 

 

だから、今、私はまだ苦しんでいる。

 

そして、これからも苦しみ続けるだろう。

 

認めてほしい。きっと、ただ、これだけ。

認めてほしい。

 

頑張っていること

 

大切であること

 

代わりがいないこと

 

もう、限界だってこと。

 

 

わかってほしい

 

認めてほしい

 

他にはない、

 

唯一の、

 

誰かとは比べられない、

 

ただ一人の、

 

存在であることを。

 

 

もう、動けない。

終わりという事故。

週明けの月曜日。

 

とんでもなくブルーな気持ちにさせてくれる、要対応メールの山が待ち構えていた。

 

胃薬を口内で溶かしながら、不幸な1日がまた始まる。

 

あと1日、もう1日。

 

命を切り売りするかのような毎日の生活。

 

一体いつまで続くのだろうか。

 

夫の永住権取得?

私の電池切れ?

 

どちらが先だろうか。

 

唯一の楽しみは、わずか45分のランチタイム。

 

早い、うまい、安くはない...が、とても滑らかな舌触りと胃への優しさが気に入っていた『アボカドしらす丼』の店。

 

今日行ったら、先月末で閉店していた。

 

たった一週間前に行ったばかりだったので、何の予告もなくの閉店は、とても寂しく感じた。

 

しかし、数日後には、そんな事さえ忘れてしまうのだろう。

 

終わりは、短期的衝撃を与えるが、また続かないものだ。

 

終わりが欲しい。

大きく安らかな終わりが。

 

 

 

 

 

 

カウンセリングサービスを利用する。

会社の福利厚生の一環で、契約しているカウンセリングサービスの面談を予約することになった。

 

いわゆるEAPサービスというやつだ。

 

以前、新卒で勤めていた会社にも、このような福利厚生があったし、存在を知ってはいたが、利用できることに気づいたときには既に重度の鬱であり、手遅れだった。

 

いままさに、話したいことが沢山ある。

ここで書いていること、書いていないこと。

 

 

私には、傾聴してくれる相手が必要だ。

 

それが単に仕事でも、テクニックでも、

 

ただ、黙って、受け止めてくれる人が必要だ。

 

外国人で母国語の異なる夫には、そんな役回りは荷が重すぎる。

 

幼い頃から、母の考えに相違する私の意見やそれを述べる私の姿は、まるで汚物でも見るかのような目で一瞥され、同意されることは勿論、受け入れられることはなかった。

 

私は、母の理想の私でなければ、受け入れられなかった。

 

母の考え通りの私でなければ、抱き締められなかった。

 

私は、妹たちと常に競わねば、愛を受け取れなかった。

 

私の根本を支配する、黒く淀んだ陰鬱な感情。

 

カウンセラーは、どのように受けとめてくれるだろう。

 

アダルトチルドレン、空っぽの私。

私は、アダルトチルドレンだ。

 

肉体的な虐待やアルコール依存など、直接的なものではない、屈折した精神のサンドバッグだ。

 

小さい頃から、亭主関白な父と、過干渉な母の元で、必死に生き抜いてきた。

 

母の生き甲斐は、三人の娘たちだった。

 

私は長女。

 

成績優秀、品行方正、容姿端麗。

 

父に精神的虐待を受ける母を喜ばせるために、ストイックに【理想の娘像】を目指し、実現し続けてきた。

 

 

10年後くらいに聞いた話だが、周りの友人には、その当時、狂わんばかりに勉強に打ち込む姿が異様で、恐ろしいものに映っていたそうだ。

 

 

自分の意思ではなかった。

 

 

全ては母のため。

 

母はかわいそう。

 

私が守らなきゃ。

 

私が頑張れば、

 

私が褒められれば、

 

母は喜ぶ。

 

幸せになる。

 

 

そして、24歳の晩夏。

 

私は鬱に倒れた。

  

 

 

空っぽだった。

 

 

『働けない自分は、自分じゃない』

 

 

泣きながら、ベッドの上でこう言った。

 

 

価値がない。

 

優秀で、美しく、勝ち続けていない自分には、

 

価値がない。

 

価値がない。

 

なぜ?

 

こんなにも頑張ってきたのに、

 

こんなにも、楽しみや興味を犠牲にしてきたのに、

 

なぜ、私は、

 

空っぽなのだろう。

 

価値がないのだろう。

 

答えは、一冊の本から導かれた。

 

『心の休ませかた 40のヒント』

 

この本が、私の心の、暗く、冷たく、重たい扉を開いたのだ。

 

 

続く